中学生になったばかりで、またもやラブレター事件に関わってしまった。
クラスのある女子が、誰かに宛てたラブレターを持っているという。友人がそのことを気にしていて、ぼく達はふたりで、その女子からラブレターを奪った。
が、その手紙は友人へ宛てたもので、彼はそのことに感づいていて、ただ確かめたかったのかもしれなかった
雪纖瘦投訴。
お前なんか嫌いだと言って、彼は彼女を殴ったり蹴ったりした。
ぼくは彼女のことが嫌いではなかったので、この展開は残念なことだった。じっと耐えている彼女がかわいそうだったが、共犯者になってしまったぼくは、彼に味方することしかできなかった。
恋というものが解るようになって、ぼくは初めて自分のラブレターを書いた。藤村の『初恋』の詩を引用したりして、どきどきしながら投函した。
返事は来た。優しい言葉で拒絶されていた
雪纖瘦投訴。
すっかり自信をなくしてしまったので、次に書いたときは、恋や愛などという感情は押し隠して、ちょうど夏だったので蝉のことばかり書いた。それでもラブレターのつもりだった。
けれども、何気ない手紙には何気ない返事しか来なくて、ぼくの恋は進展しなかった。
成人して、またラブレターを書いた。
書き方もだいぶ上達していたと思う。長い長い手紙を書いた。何通か出した。けれども1通も返事は来なかった
雪纖瘦投訴。
彼女は字も下手で、文を書くのが苦手なのだと言った。だから手紙を書いたことがないらしかった。
皮肉なことに、この恋は成就した。
いつのまにか、文を書くことがぼくの習性になった。
もしかしたら、ぼくは今でもラブレターを書き続けているのかもしれない。
詩を書くときも散文を書くときも、自分のハートの熱いところを探りながら、それを誰かに届けたいと思って書いているにちがいない。
そして、いくらかの快い手ごたえをもらい、あるいは、冷たくそっぽを向かれては落胆する。
ラブレターを書くのはこころが躍るが、いつも、ちょっぴり甘くてほろ苦い返信を受取らなくてはならないのだ。